話題の中心となるもの

 近頃の季節の挨拶状は、スマホで一発だから便利なもんである。このところ暑中見舞いや残暑見舞状など動画を送ってこられる友人が多い。しかし今日見舞状とともに画像が送られて来たのは昔、県就職支援センターで一緒に業務をやっていたOさんから。

 萬翠荘の庭園の絵である。長い間、萬翠荘には行ったことがないけれど、こんな庭園があったとは知らなかった。

 Oさんも父親を見送って20年が過ぎるだろうか、母親も介護ののち見送って4~5年がくるだろうか。ひとりっ子だからこのお盆の時期にはあくせくしているに違いない。

 自分の方は、両親と弟の3人を見送っている。妹と二人で昔話をするのに5人家族であった当時の話をする回数が増えた。

 自分の幼少期、なにせ兄弟男二人と女一人の中で、妹はかなり父親から大事にされていたことを話すたびに知らされる。

 人と会い話し合う回数がめっきり少なくなったので、友人たちと時にはお互いに連絡取りあい喫茶店で落ち合う回数も増えた。

 そのような場合の話の中身は、昔話というよりは例えばトランプ関税の話であったりロシアとウクライナのこと、プーチンとゼレンスキーの話になることが多い。そして最後は友人の誰それが亡くなったとか、われわれもすでにその領域にいるんだとか・・確認するような話になる。

鎮魂

 40年前の8月12日の夜、私が7時前にいたところは出張地の高知のホテルの一室である。さて、お盆休みが明後日から始まる、何して子らと遊ぼうか‥などと思いながらのんきにホテルの部屋で報告書を書いていた。そして7時のニュースを見ようとテレビスイッチを入れたときに緊急放送があった。何事か・・とみていると、日航機の機影が消えた、と。

  羽田発大阪空港行の航空機のことである。

 それからテレビ画面は、通常番組をキャンセルして事故に関して夜中まで機影を探していたところ、見つかったのは御巣鷹山の山中であった。

 驚いた。500人以上の搭乗者がいたという。日本国内のみならず世界中が驚くニュースとなった。痛ましい事故であった。

 その事故を追いかけていたのは、同級生のモーさんであった。後に彼は朝日新聞記者として何かがあると全国を飛び回っていたんだと話してくれた。

 事故処理に追われる現場を取材で明け暮れたんだという。モーさんは取材側であったが、いつの間にか40年が過ぎると、

 地元紙に取材される側になったんだとメールが入った。

極端から極端へ

 この2~3か月の間、ニュースの中心になっていたのは、トカラ列島の悪石島を中心とする地震のことを連日報じていたかと思うと、インドネシアのレウォトビ火山で大規模な噴火が発生し、噴煙がおよそ19,000mまで上がりました・・・とニュースが入った。そして休む間もなくその次に カムチャッカ半島では、クリュチェフスカヤ火山が爆発し噴煙が海抜8000mを超え、クラシェニンニコフ火山も600年振りに噴火・・・などのことも報じられた。なんだか今どき各地で開催されている花火大会のごとく、それぞれの火山の爆発噴煙の高さ比べをしている様で・・・。そして国内では高温のことがあった。もう夏の季節40℃越えになることも珍しいことでもなくなった。自分たちの体温よりも高い環境でいることも不思議ではなくなった。思えば自分たちが小学生のころ、30℃を超えるだけで滅入ってしまいそうだったが・・・、国連のグテーレス事務総長の「地球温暖化」の時代から「地球沸騰化」へと変わったという話もうなずくことが出来る。とにかく猛烈な暑さが連日のことであった。その時のニュースアナウンサーから出てくる天気予報の表現として、

「経験したことのないような暑さになるおそれ」だとか「今までに経験したことのない危険な暑さになります。」「健康にかかる重大な被害が生じる恐れがあります。」「命を守るような行動をとって下さい。」「冷房をつけてお過ごしください。」

などと毎日言ってくれた。もう今までの経験則の中では生活ができないというふうに耳元には伝わってくる。そして今度は、「身の安全を守るために高い所に移動しなさい、今までに経験したことのないような雨が降るので、命を守る行動をとって下さい。」

と、今度は線状降水帯などの大雨による注意を促してきた。逃げなさいと言う。どうなってしまったのか、この地球。

 猛暑によって病院へ緊急搬送されるニュースも珍しくなくなった。大雨による災害や事故の話などいつものような出来事に映る。本当は異常なことだろうが、もうみんな慣れっこになったのかこのようなニュースは四六時中の出来事になった。どうもおかしい。西に砲弾が飛び交い人命が失われると思いきや、銃声の聞こえない地域では自然災害で人命が失われている。穏やかに日常を過ごすことが難しい。

長崎原爆の日

 どうしてこんなにも大きな災害が起これば同じような風景になるんだろうかと・・

80年前の今日、原子爆弾により被災した長崎市

そして2011.3.11の東北大震災により津波での被害を受けた場所。

 ただし前者は人の手によるもの、後者は自然の力によるもの。いずれも人間の個の力だけでは抵抗することは不可。

 何とかならないのか、原爆は。「死亡者の数は(1945年末までに)広島が14万人前後、長崎が7万人前後とされている」とノルウェーオスロでのノーベル賞授賞式で講演した被団協代表委員の田中 熙巳てるみ さんの言葉。

 なんどこの写真を見ても胸が締め付けられる。

ちなみに、東日本大震災の発生から今年で14年になった。これまでに確認された死者と行方不明者は、避難生活などで亡くなった「災害関連死」も含めると、2万2228人である。

 一瞬の大きな自然災害によるものも大きいが戦争、特に一瞬の原子爆弾による死亡者の数はさらに大きい。

ちなみに



 

動物園飼育員のお話

 今日は「憲法9条を守る会」が催す動物園飼育係の人のお話である。今まで動物園に行ってオリや柵の中の動物をまじかに見ることがあっても、その飼育係の人の話を聞いたことがない。興味もありその話を聞くことにした。

 今日の講師となる人は、先日このblogにも書いた神風特攻隊関中尉が高校の大先輩、またサッカー日本代表の長友選手も後輩にあたる。その交友関係などの話から始まる。

 とべ動物園では、白熊ピースが有名である。けれど生まれたときには別の名がついていたとのこと。世の平和として、飼育員の高市さんのおばあさんがピースと名をつけたんだとか。今年12月が来れば26才となる。そして今日の講師の竹箇平さん担当したのはカンガルー。

 生まれたばかりの小さなカンガルーが母親の袋から地上に出たときに足を骨折して以来自宅で数か月哺乳瓶でミルクを飲ませる等の飼育していたとのことである。そのような動物のそれぞれの飼育方法などが違うことも興味がわく話であった。

  しかし動物園が平和な世の中でなくなると、今のウクライナガザ地区の動物園の現状は、

 園舎から動物がいなくなったり、また与える餌が乏しくなり動物がやせ衰えていくことになるんだと・・

 平和の証として動物園がある、

 そのような動物と平和についての相互関係のお話。
 

8月6日は

 暑い日は夾竹桃の花を思い出す。今日は「広島原爆の日平和公園の川沿いに咲いていたのは、暑い夏の昼下がりのことであった。もう何年前になるんだろう、8月6日にそのような経験をしたのは。

 父親が亡くなって30年が過ぎる、その父親が若い時、何歳のころだったか、8月6日の朝、広島の上空にあるキノコ雲を見たと話してくれたことがあった。遠く対岸に居て、たぶんこのような光景だったろうか。

 父は1939年に発生した日本とソ連の軍事衝突があったノモンハン事件において飛行機に乗り組み参戦していた。自分の幼少の頃のこと満州での話を聞いたことがあった。三菱神戸に勤務していてそこから出て行った。しかし結核を患い実家に帰って長年療養をしていた。その時に広島に原爆が投下され、海の向こうの上空に上がるキノコ雲を見たんだろう。戦争だけはダメ、と口酸っぱく話していた。それと、以後旅行にも航空機だけは乗ることがなかった。

 このところ戦争にまつわる話がラジオ・テレビに出る回数が多い。その中には、

 神風特攻隊のことも報じられる。あまりにも悲惨な過去である。二度とこのようなことがあってはならない。美化してはいけない。

 そして戦争のことだけでなく、自然災害も避けることが出来なかった。

 やっぱり何があろうとも、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と説いた宮沢賢治の言葉が突き刺さる。

 

 

讃美歌を歌う

 ウクライナからの映像やガザ地区からの映像には、自分たちにはもう慣れっこになったのかもしれない、それとも悲惨な現地を想像することを拒否したのか。。この猛暑はどうしようもないと考えて冷房の効く部屋に閉じこもるのか、そこで見てもしょうもないような、TVグルメ番組を見ながら、美味しい😋とマイクに語り掛ける女性リポーターをただぼんやりと眺める日常ではないのか。老人が朝っぱらから、ショーヘイショーヘイと追っかける姿も何も珍しくはない。ホームランを打っただの、盗塁しただの天下泰平の日々であることを強要してくる。かと思えば北に南に火山が爆発した報せも届いてくる。

 今日は涼しさを求めて久万高原に上がりたい。

 今日のチャペルで歌った讃美歌。

 「理解されるよりも理解することを」「平和の道具」として私たちを用いて下さいと祈りたい。 それは争いや分裂に満ちた今の時代においての、私たちの生き方について突き付けてくる。平和を心から祈るときの自分たちの姿勢はどうあればよいか。

  東に西に南に北に自然災害あれば、人的災害も止むことがない日常が継続している。